賃貸マンションのシミュレーション
各社計の総コスト削減額は1兆円近くに達する規模で、90年代ではもっとも大きな規模でした。
この時点でのコスト削減の骨子は、①製鉄所従業員の一段の削減、②従来まで手をつけてこなかった本社、ホワイトカラー人員などの削減、③一部のプロジェクトを除き設備投資の大幅な縮減、①一部の企業では品種別キャッシュフロー管理などを断行、⑤一部の企業では早期優遇退職によって、出向者の離籍を行い、出向者差額補填の減少を図る、などでした。
1993年以降の大幅なコストダウンに加え、95年央以降の円安、世界的な鉄鋼市況の回復により、94、95年度と日本の鉄鋼メーカーの業績は急速に回復しました。
各社はこれらのコスト削減を100%以上の達成率で完遂しましたが、引き続いて96年から99年の間に第2次の合理化を行いました。
第1次合理化の成果により、当時の為替レートで見れば、日本の高炉メーカーは、日本市場での国際競争力を回復し、輸入品の流入を抑制し、電炉メーカーのシェアの拡大に歯止めをかけました。
第2次合理化では、コスト削減額は前回よりも減少しましたが、東南アジア地域で、輸出競争力をP社やCh社に対して回復することを目標に掲げていました。
円安の進展も追い風になり、1997年度の前半までに日本の高炉メーカーの主力製鉄所では、一時、熱延鋼板では、P社なみのコスト競争力を東南アジア市場で回復していたものと推定されます。
この頃、日本の高炉メーカーは徐々に増産志向を高めていました。
N社がFu製鉄所の休止高炉再稼動を発表したのも、97年の前半でした。
しかし、1990年代後半になって日本の鉄鋼メーカーは、新たな経営問題に直面することになります。
コスト削減と円安により一時はコスト競争力を回復しつつあった日本の高炉メーカーでしたが、1997年後半に東南アジア地域を襲った通貨危機により、P社が生産を行う韓国の通貨、ウォンレートが切り下がり、ふたたび内外価格差が開いてしまいました。
目協調路線の崩壊によるシェアの流動化粗鋼生産がピークアウトした1970年代前半以降、日本の高炉大手は、需給悪化時に自主的に減産を行い、鋼材価格の維持に努めました。
このため、高炉大手メーカー間の粗鋼生産シェアの大きな変動は起こりませんでした。
しかし、円高によって、国際価格に国内価格が収斂していく過程で、各社が自主的な減産を行っても、鋼材価格のコントロールを行うことが難しくなりました。
また、国内では高炉大手の減産の間隙を突いて、電炉メーカーが台頭したため、高炉メーカーのシェアが徐々に低下しました。
一方、鋼材ユーザーが素材のコストダウンを追求していくうちに、規模、技術力、総合力などで鉄鋼メーカーの選別を行いました。
1999年12月20日、鉄鋼新聞1面の記事は、「Ni自動車が鋼板調達をSi社、Ka社、N社に絞り込む、Si社のシェアが大幅に上昇する見通し」と報じました。
これはその後の、高炉間の熾烈な価格競争を引き起こしたため、鉄鋼業界では当時のNi自動車の社長の名前をとって「K・S」として記憶に刻まれています。
最後に、鉄鋼メーカーの販売力の格差が生じてきました。
このため、粗鋼生産のシェアには徐々に変動が起こりました。
自動車業界のグローバル化や合従連衡に伴い、鋼材などの資材調達法に変化が生じてきました。
たとえば、自動車会社が海外に展開した時に、国内と同様な規格の鋼材の調達を求めてきました。
鉄鋼メーカーは、国際的な提携(アライアンス)によって(たとえば、Si社とAr社)、他国の鉄鋼メーカーに技術供与などを行うことによって、そのニーズに応えようとしています。
鉄鉱石を生産する鉱山事業者の合従連衡により、山元の価格交渉能力が高まりました。
2004年度、05年度と鉄鋼メーカーは、鉄鉱石、原料炭の大幅な値上げを受け入れました。
これは鉱山事業者側の発言力が鉄鋼メーカーを上回っていたためです。
国内だけでなく、国際的な市況低迷も追い討ちをかけています。
一時、熟延コイルの国際市況はトン200ドルを下回り、世界中の鉄鋼メーカーが赤字になりました。
特に90年代の後半以降、高炉、特殊鋼電炉メーカーが90年代前半に展開した多角化事業のいくつかが破綻状況に陥り、各社は、多額の損失計上を行わなければなりませんでした。
N社の関連会社であった卜-ア・スチールのようにグループ会社の破綻が親会社にダメージを与えた事例もあります。
さらに、新会計基準の導入によって、退職給付債務の発生、新規の連結拡大によって、損失が明らかになったグループ会社など、純資産を目減りさせる話題には事欠きませんでした。
当初は、株式売却益や土地売却益で吸収していましたが、含み益は枯渇しはじめ、損失を埋め合わせることができませんでした。
鉄鋼メーカーは、多額のフリーキャッシュフローならない状況に追い込まれたのです。
冷延鋼板の店売り市況とT&K社の店頭販売価格をプロットしたものです(最も冷延鋼板市況が悪化した2001年度までを掲載)。
約30年間のうちにK社の価格は約1.4倍に値上がりした一方、冷延鋼板は55%の価格下落が起きています。
日本の鉄鋼業界は、非常に高い品質の鋼材を生産しているものの、そこに投人された現場の努力と研究開発コストにプレミアムがついていなかったのです。
鉄鋼業で産出された付加価値は鋼材価格の値下がりという形で、ユーザー側に移転していたのです。
1990年度から2000年度まで高炉各社の鋼材単価平均は34%の下落(平均単価でトン3万円の下落)となりました。
ラフな試算では、高炉5社で、実に2兆円ほどの営業利益の減益要因ということになります。
各社とも、前述のような人員削減や不採算事業からの撤退など大幅なリストラを行ったものの、すべてを吸収できず、90年代の収益は低水準が継続しました。
2000年度、高炉各社の純資産は、90年度と比較すると約8400億円減少しました。
本業の収益悪化に加えて、多額のリストラ損失計上、多角化事業からの撤退、退職給付債務の会計処理変更、新会計基準導入に伴う資本勘定の目減りなどで、純資産は減少を続けたのです。
また、高炉間の競争は、普通鋼電炉、特殊鋼電炉メーカーにも飛び火しました。
電炉メーカーで唯一薄板を生産するTo社は、高炉間の薄板価格競争に巻き込まれて、大幅に収益が悪化しました。
特殊鋼電炉メーカーも価格下落に苦しみ、業績は低い水準が継続しました。
これをマクロ統計で見てみましょう。
付加価値額(企業の産み出す価値の合計。
利益、減価償却、労務費などの合算値)を1980年と比較すると鉄鋼産業は90年度にほぼ倍増したのち、99年には80年の1.3倍程度に低下、一方、自動車産業を含む輸送機器は、90年に2.4倍増となり99年までほぼ横ばい圏で推移しています。
付加価値移転の背景には、国内での過当競争が重くのしかかっていたことがあります。
90年代日本の高炉メーカーは「仮想敵会社」を韓国のP社、電炉のTo社とし、リストラを行ってきましたが、本当の「敵」は、自らの供給過剰体制にあったのです。
鉄鋼メーカー間の価格競争に加えて、ITバブル崩壊による世界的な景気低迷が加わり、2000年度から2001年度にかけて鋼材価格は下落の一途をたどりました。
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